イギリス王室のハリー王子(ヘンリー王子)との結婚で話題のアメリカ人の美人女優、メーガン・マークル。父親が白人で、母親がアフリカ系の黒人ということで、賛否両論が飛び交っています。

しかし、英国王室の歴史を辿ると、アフリカ系の血を引く王妃が存在します。それは、イギリス国王ジョージ3世(1738-1820年/在位:1760-1800年)の王妃、シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ(Sophia Charlotte of Mecklenburg-Strelitz)です。

その歴史はなんと13世紀ポルトガルのレコンキスタにまで遡りますのでそのお話を紹介します。

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その歴史は13世紀、ポルトガルのレコンキスタに遡る

アフリカ系ルーツはイスラム勢力ムーア人総督の娘、ポルトガル王アフォンソ3世に始まる

13世紀の現在のポルトガル周辺。イスラム勢力が支配していたファーロをアフォンソ3世がレコンキスタ(キリスト教地域への土地の回復)の一貫として奪回。そしてそのイスラム勢力の総督の娘でムーア人のマドラガーナをキリスト教に改宗させて愛人とします。

生まれた子供は貴族となり、15世紀に7代下ったマルガリータ・デ・カストロ・スーザがブルゴーニュのヌフシャテルのジャン2世と結婚。それから、更に9代下りて、イギリス王妃のシャーロットと血が繋がります。

シャーロット王妃の生まれ

イギリス王ジョージ3世の王妃、シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ公女(1744-1818年)。その父は、メクレンブルク=シュトレーリッツの第2公子カール・ルートヴィヒ、母はザクセン=ヒルトブルクハウゼン公国の公女エリーザベト・アルベルティーネです。

父方メクレンブルク=シュトレーリッツ公国はドイツの北にあった公国です。シャーロットがイギリス王妃になった後、兄が公国の後継となり、のちに公国が大公国になります。

母方のザクセン=ヒルトブルクハウゼン公国はドイツ中部にあった公国です。この母方に、アフリカ系のマルガリータ・デ・カストロ・スーザの血が流れています。

シャーロット公女は、イギリス王ジョージ3世の王妃に

シャーロット公女はジョージ3世(1738-1820年/在位:1760-1800年)の王妃となります。ジョージ3世のお妃選びは、母后オーガスタに加えて、元家庭教師の首相ビュート伯、更に父の死後は祖父王ジョージ2世からも干渉されます。

しかし、それを嫌ったジョージ3世は、部下の侍従武官グレアム大佐をドイツに送り、お妃にふさわしい姫を探させます。そして推薦されたのがシャーロット公女でした。

二人は結婚式の日に初めて会ったのですが、相思相愛で9男6女の子宝に恵まれます。

エリザベス女王にも流れるシャーロット王妃の血

その後のイギリス王家は、シャーロット王妃の血が流れる歴代の王がこんな感じで続きます。

ジョージ3世→
ジョージ4世(シャーロット王妃の第一子)→
ウィリアム4世(シャーロット王妃の第3子)→
ビクトリア女王(シャーロット王妃の孫)→
エドワード7世(シャーロット王妃のひ孫)→
ジョージ5世(シャーロット王妃の玄孫)→
エドワード8世(シャーロット王妃の来孫)→
ジョージ6世(シャーロット王妃の来孫)→
エリザベス2世(シャーロット王妃の昆孫)

ということで、シャーロット王妃はエリザベス2世の6代前です。シャーロット王妃にアフリカ系の血が入っていたことは、彼女の死後に明らかになりました。

エリザベス2世の王配のフィリップ殿下は人種差別的な発言があったりしますが、エリザベス2世自身にも実はアフリカ系の血が流れているのです。

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まとめ

ヨーロッパの王家は、王室同士での結婚が多かったのですが、その後ある程度の爵位を持つ貴族との結婚も見られ、更に平民やヨーロッパ以外から妃を取る王子や公子も増えました。

アフリカ系の血が流れるメーガン・マークルと故ダイアナ妃の信念を受け継ぐ柔軟なハリー王子の結婚は、また新しい時代に幕が開ける兆と言えます。

▶︎ハリー王子(ヘンリー王子)の呼び名についてはこちら

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