バルセロナのシウタデリャ公園北側のメインの入口。そこで門番をしているギリシャ神話のオリュンポス12神エルメス様に促されて、入ってみる。

ん?

直ぐ右手(西側)に、イスラム教の影響を受けたようなエキゾチックなれんが造りの強烈なインパクトを放つ建物が!

あ、これは…ガウディの先生だったリュイス・ドメネク・イ・モンタネールが建築したあの建物「三匹の竜の城」ではないですか!

公園の奥に踏み入る前に、心がリュイス・ドメネク・イ・モンタネールと彼の偉業に飛んでしまう…

花の建築家。そう呼ばれた彼なのに、やがて日陰の人のようになってしまい…なんか小説に出て来そうな超優秀だけど陰の人で切ないです…

彼の建築はというと、順番を追ってみると、更に楽しめますよ。

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リュイス ドメネク イ モンタネール Lluís Domènech i Montanerとは?


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リュイス・ドメネク・イ・モンタネール。

その名は以外と知られていない。日本では特にね。

しかし、しか〜し、
このお方は、恐れ多くも、天下のユネスコ世界遺産、カタルーニャ音楽堂とサン・パオ病院@バルセロナを2つも作った建築家であらせるのですよ!

その上、バルセロナ建築学校で、あのガウディを教えていた師でもあるのです。

もうね。バルセロナが有名になったのは、このお方のお陰が多々あると断言できますね。

パリが「アールヌヴォー」の建築芸術で盛んだった20世紀初頭、こちらバルセロナでもそのスペイン版モデルニスモ(モダニズム)が華やいでいたのです。何せ19世紀の産業革命の恩恵の資金が建築芸術にも注ぎ込まれたわけでして。

で、リュイス・ドメネク・イ・モンタネールはモダニズム建築の先駆者だったのです。

ドメイクは名家に生まれて、物理と自然科学を学んだ後に建築も修め、建築家、歴史家、政治家として人望も厚く多彩ぶりを発揮。

ガウディが頭角を現してから、人気を二分し、そして他の建築家も台頭して、そのうち名声が霞んで忘れられてしまう…ユネスコが彼の建物を世界遺産にするまでは…

モンタネール建築の代表作を時系列で見て行くと、成長というか変化がみられて面白い

私のような美しい建築芸術をこよなく愛するファンとしては、モンタネール建築はそれはもうため息ものの素晴らしいものが多くて感動なのですよ!

ドメネク・イ・モンタネールが世界的に知られるようになったのは、バルセロナ万博からですね。

それぞれ、外観も内部もそれはそれは素敵なのでここではさっと触れて、次回以降それぞれを紹介していきますね!

1888年 三匹の竜の城 The Castello de Tres Dragones

こちら、バルセロナ万博の開催に合わせて作られたレストラン。それが今では、動物学博物館になってます。赤煉瓦と飾りのセラミックで作られていて、イスラム文化の影響を受けたお城みたい。

1891–1896年 モンタネール邸 Palau Ramon Montaner

出版社を経営する伯父さんの家。別の建築家が建設途中で伯父さんと意見が合わなくなり、それをドメネク・イ・モンタネールが引き継いで完成させたお宅です。
お花のモチーフのステンドグラスなどが美しい。「花の建築家」呼ばれる意味が理解できますね。

By Electronica

1902年 カサ リュオ モレラ Casa Lleo i Morera

1864年に建てられた豪邸の改築をドメネク・イ・モンタネールが請け負って、豪華な邸宅に生まれ変わらせたもの。タイルやステンドグラスも当時有名なアーティストが担当して、それはそれは優雅な建物に変身。バルセロナで最も美しい建物の一つだと言われているのです。


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1905–1908年 カタルーニャ音楽堂 Palau Música Catalana

この音楽堂を見たときは、ひれ伏しましたね!あまりにもお洒落で、あまりにも美しい!装飾タイルのお花モチーフが咲き乱れて、ステンドグラスは光輝いてます。これがユネスコ世界遺産っていうのは納得。

1905–1930年 サン パウ病院 Hospital de Sant Pau

外部も素敵だけど、内部のステンドグラスなどがまた美しいのですわ。病院なのに美術館にいるみたい。現在は病院としては使われていずに、一般公開されています。なんせこちらもユネスコ世界遺産ですからね。

今回は外観だけの画像ですが、内部が凄いのなんのって、それはそれは豪華でため息ものですよ!

それぞれを、次回以降に説明していきますね〜!