ロワール河沿いを西の起点からドライブします。

出発点はナント。
フランスで6番目に大きい街、ナント。

ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏の首府です。

こちらに、ブルターニュ大公城(Château des ducs de Bretagne)という大層な名前のお城があります。

大公のお城とは言っても、要塞城。

お堀があって、いかにも守りを固めたお城という雰囲気ですね。

ナントの勅令の舞台にもなりました。

お城の歴史や関わりのある主要な人物は…

お城の歴史

ナントは現在こそ、ロワール地方ですが、その昔はブルターニュ地方でした。

ということで、このお城は1207年にブルターニュ公ギィ・ド・トゥアルが建設して、その後、1466年に再建。最近では15年もかけてかつての姿を修復して、2007年に修復を完了して現在に至っています。

こちらは1532年に、正式にフランス王家のブルターニュでの居城となるまでブルターニュ公の一族が住んでいたのです。

フランスの歴史的建造物にも指定されている重要なお城でございます。

宗教の自由が保障された、ナントの勅令でも有名な舞台ですね。

このお城にかかわる有名で人気のある二人の人物

アンヌ・ド・ブルターニュ、ブルターニュ公国最後の女公

ブルターニュ地方やロワール地方をぶらぶらしていると良く耳にしたり、目にしたりするアンヌ・ド・ブルターニュ。

ブルターニュ大公城で生まれた、ブルターニュ公国最後の女公。

若干13才で公位を継承後、ローマ帝国の婚約を決意。
ヨーロッパ各国の多数の王子からの求婚(公国を自国に加えようとする思惑)
相談役もほとんどいない中、13才で結婚を決意して、その後領土に攻め入れられてそれを無効にされたり、別の王に結婚を迫られ、更に別の王と結婚したり…結局は2度目のフランス王妃として最後を終えたのですが、もう、アンヌの人生は一体何だったのでしょう?というくらい、波乱万丈な人生を送った姫でした。

アンヌと結婚するために、二人のフランス王がわざわざ離婚してますから。凄いです。

アンヌ・ド・ブルターニュは幼少の頃、公国を巡り、民と言葉を交わし、人気を得ていたそうです。

アンヌ・ド・ブルターニュが求めたことは何だったのでしょう?それは、ブルターニュの安泰や平和、だったのではないかと。人気な訳ですね。

ブルターニュのちょっとした名士のお宅にお邪魔したときに、そのお宅にはアンヌ・ド・ブルターニュのレリーフが飾られていました。

それでもって、長々とアンヌ・ド・ブルターニュの功績うんぬんについてそのお宅のおばあ様から一時間以上のレクチャーを受けましたよ!アンヌは人徳者のようです。

フランス王アンリ4世 「ナントの勅令」を出した王

こちらも大変人気のあるお方。ナバラ国王であり、ブルボン家で初代フランス国王でもあり、マルグリットこと、映画「王妃マルゴ」(フランスヴァロア朝の姫)の夫でもあったお方です。血が濃くなったフランスヴァロア朝が彼の戴冠により、終了です。

で、何が一番有名かと言うと「ナントの勅令」を出した事。しかも、このブルターニュ大公城で、です。

フランスでは宗教=カトリックだったのが、ユグノーなどのプロテスタントもカトリックと同様の権利が得られる事になり、事実上宗教の自由が許されるようになるという画期的な勅令だったのです。

ということで、アンリ4世は人気なのです。

ブルターニュ大公城、いかにも要塞です

ブルターニュ大公城はいかにも要塞といった雰囲気のお城です。現在は歴史博物館になってます。

エントランスや門や外堀で守りがしっかりしてますね。

お城はシンプル。

外ではアンドブルターニュが静かにお城を見守っています。